2011年 06月 23日

24年ぶりに沖縄で迎えた慰霊の日

24年ぶりに沖縄で慰霊の日を迎えた。

高校時代には毎年参加していた「二中健児の塔」での追悼式に行こうかとも思ったが、よく考えたら、そういう式に参加するのにふさわしそうな服もない…。しかも今朝から痛風発作が起こり、足の痛みで移動がきつかったので、近くの街中で過ごすことにした。

また、僕にとって最も印象深い慰霊の日は、街中でサイレンが鳴り、そこで立ち止まり黙祷する、そんなあり方だったから、ということもある。その雰囲気をまた感じたいと思ったのだ。

「近くで何かやっていないかな?」という思いもあったので、小さな催し物がよく開催されている「パレットくもじ」前へ行ってみた。しかし、何もやっていない…。学生運動の活動家たちが菅首相の退任要求の演説をし、ビラを配っているだけだ。

心無しか、いつもの休日よりも人が少なく静かな印象だった。多くの人が家で過ごしたり、追悼式へ行ったりしているのだろうか。


正午が近づき、サイレンを待った。「海は少し遠いけど、汽笛も聞こえるかな?」と考えたりしながら…。しかし、何の音も聞こえてこない…。正午を少し過ぎたことに気づき、すこしあせって(別に正午にこだわることはないのだろうが)、僕は頭を垂れて黙祷した。

ショックだった。あのサイレンや汽笛やそんな音を象徴の一つとして、沖縄の人々は、戦争の記憶を共有して来たと僕は思っている。追悼式や慰霊の塔の前だけでなく、街中でも頭を垂れること、それこそ、この地のどこででも人々が亡くなって行ったことを想起させる行為だと僕は感じていた。

そして、遠く離れた過去のこととして、ではなく、今私たちの問題として呼び起こす行為でもある。

その後、Twitter上で、今もサイレンが鳴る地域があることを知った(鳴る地域の方が多いかもしれない)。もう、那覇のど真ん中では、それはいらないということなのだろうか。


今日、摩文仁が丘の平和祈念公園では、「沖縄全戦没者追悼式」がおこなわれた。各慰霊の塔の前でも慰霊祭/追悼式があったことだろう。しかし僕は、街中でも、慰霊の日を考える集いや催しを、もっとおこなうべきだと思う。あるいは、それぞれに小さな集まりを持つというのもいいだろう。友達で集まって語るという機会でもいい気がする。

今は、「来年の今日、まだ沖縄での生活を踏ん張れていたら、どういう風に過ごそうか」と考えている。どこかで小さな集まりでも持ちたい。


それにしても…パレット前で、菅首相を批判し、辺野古での基地建設を批判する演説をしていた人たちは、黙祷を呼び掛けるどころか、正午の前後も演説を止めることはなかった。なんだか、不思議な気がした(「今日は慰霊の日です」と言っていたので、この日を慰霊の日と定めることに批判的な立場でもないようだったのだが)。
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by Hideki_Sunagawa | 2011-06-23 20:07 | Okinawa


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