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2011年 05月 16日

引っ越して一ヶ月

ピンと来ないながらも…

沖縄に引っ越してちょうど一ヶ月。

ピンと来ないのは相変わらずだが、ゴールデンウィークにまるまる1週間滞在した相方が帰るときに(前夜や見送ったあと帰宅してから)号泣してしまったりして、東京との距離を実感することもちらほら。

そして今日、引っ越し後初めての仕事(とは言っても、四回の講義のうちの一回だけど…)。学生の雰囲気は、東京で教えていたときと特に変わるものではなかったので、こちらはこれまで自分がやってきたことが引き続いているという感覚。それでも、沖縄での生活が本格的に始動してきたなぁと感じている。


「なんぎだったはずねー」

先週、地元のレズビアンの友人と話していて、結局自分(僕)は東京にいても沖縄にいても完全には「ここが自分の居場所」と実感できることはないのかもしれない…という話になった(ちょっと表現は違うけど)。

でも、彼女と、本土に移る前の自分の話をする中で、「砂川さん、とっても『なんぎ(難儀)』したでしょ?」と言われたときに、その言葉が自分にすっと染み込み、とても理解されたと感じて、やっぱり二十歳までほとんど沖縄にいて馴染んだものが、自分の土台を形成しているんだなと実感した。

それは単に、その単語やアクセント、イントネーションに慣れ親しんでいるからというだけではなく、その背後に、当時の沖縄にありがちだった「労働者階級」の家庭の雰囲気やジェンダー観を共有しているという実感があることが重要だ(なので、同じ沖縄でも、「上流階級」に育った人とは共有はできないだろう)。

彼女の「なんぎしたでしょ?」「なんぎだったはずよー」という言葉は、そんないろんなものを共有しているだということを感じさせるものだった。しかし、共有しているということは、同じであるということではない。そこを誤解しないことが、人とつながっていくときに重要なことなのだろうと思っている。


「どっちつかずな感じ」

彼女とそんな話をした翌々日だったか、今度はゲイの友人と、また似たような話をする機会があった。そのときは、小学生のときに「本土」から引っ越して来た彼が、「ウチナーンチュでもない、ヤマトンチュでもない、どっちつかずな感じ」という感覚を持っているということを語ってくれた。詳しくは語らなかったが、沖縄に越して来て長い間つらい思いをしたようだ。

米国留学の中で解決された部分もだいぶありつつも、今もどこか他者感は拭えないようなところがあるらしい。

僕自身は、やはり二十歳まで過ごしたこともあり、沖縄に(正確に言うと那覇に、なんだろうけど)深い愛着もあり、馴染んでいる感もある(だから帰ってきたのだが)。先ほど書いたように、土台はここで形づけられたんだな、と実感する。けれど、やはり本土生活24年(うち東京生活21年)はやはり大きい。そういう意味で、彼の「どっちつかずな感じ」もわかる気がする。


狭間にいるということ

正直、自分はどこで何をやっていくべきなのか(それ以前に、どうすれば生活が成り立つのかという大問題もあり)、迷い悩んでいる面があるせいで、その狭間にいるということが苦しくなることもある。しかし、人文・社会系の学問に関わる身であり、またいろんなアクティビズムにかかわる僕にとって、そのような経験や感覚は大事なんだろうな、とも思う。

でも、やっぱり、まずは生活か…

by Hideki_Sunagawa | 2011-05-16 16:21


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