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2011年 01月 17日

成人式

昨日、セクシュアルマイノリティも自分らしく参加できる(そういう言葉は使ってなかったけど、そういうことだと思う)という趣旨の「成人式」で短い祝辞を述べさせてもらった。

自身が成人になったFtM(女性→男性)トランスのHさんが、一般の成人式に出るとなると親に振り袖を着せられるということで、同じような思いをしている人も参加できるような、今回の式を考えたらしい。

ごく少人数の参加で、成人を迎えたばかりの人は主催者だけかな?という感じだったけど、とても意味のある会だなぁ、と思った。そして、自分自身で自分の求める場をつくろうとする、その志に触れて、胸が熱くなった(目頭も)。

その祝辞でも触れたのだが、こういう節目をともに祝い共有することは、「コミュニティ」の強度を増す上でとても重要なことだと思う。この「強度」とは、支え合い、生きていくエネルギーを与える力のことだ。


一般的な成人式は、女性と男性で明確に服装が異なるのが当たり前とされているため、家族など周囲の人に理解を得られていないトランスの人は、とても参加しづらいだろう。そしておそらく、そのようなハードルの高い経験をしているトランスの人だけでなく、ゲイやレズビアンにも、見えない壁のようなものを感じる人、感じた人は少なくないのではないかと思う。

もちろん、ゲイやレズビアンの人の中にも参加して楽しかったという人がはたくさんいるだろう(それが大部分かもしれない)、また、トランスの人でも自分の性自認に合った服装で参加できて思い出をつくったという人もいるに違いない。

だけど、自分がその理由に気づいているかどうかさておき、セクシュアルマイノリティということが根本にあって、参加する気持ちが起きなかった人、場合によっては、参加したい気持ちがなくはないけど参加できなかった人も少なからずいることも間違いない。

実際にtwitterでも、そのような声が聞かれた。もちろん、気が向かない経験をしたのはゲイやレズビアンだけではないだろうし、それ以前に、大前提として、成人式に意味を感じないので別に行かないでもいいしと思っている人、行かなかったこと自体どうでもいいと思っている人も多い。


実は僕も、成人式は行かなかった。当時は、全然行きたいとは思わなかったし、行かなかったこと自体、その後もずっとどうでもいいことだった…昨日の成人式に参加するまでは。

昨日の成人式に参加して強く思った。今回の成人式のように、本当に自分がゲイであることをわかってくれる仲間たちがそこにいて、セクシュアルマイノリティということで生きづらい思いを経験をしている仲間たちが自分らしく参加できて、同じような経験を経た先輩が祝ってくれるような成人式なら出たかった!と。

そして、二十歳当時は、他のいろいろ理由をつけて成人式に出席しなかったけど、もし自分がゲイじゃなかったら行っていたかもしれないとも思った。

さらに言うならば、成人式というのは、もともとその人が一員として感じてる「コミュニティ」で先輩や後輩に祝われることに意味があるはずだ。だから、別にセクシュアルマイノリティに限らず、いろんな「コミュニティ」でも自分らしく参加できる成人式があるといいと思う。

そんな風に「あるといい」と思うことを自ら始めた人たち(僕よりも約25歳も年下の人たち…)は、すごい! 僕は、今回とても元気をもらった。呼んでくれた主催者には、感謝の思いでいっぱいだ。ありがとう!!!


僕も、沖縄に帰ったら、祝う側として性的マイノリティ向けの成人式をやりたいいなぁ、と思った。

きっと、成人式を迎えた頃から多くの年月を経た人も、祝う側として参加してみると感じるものがあると思う。僕らは、ないことが当たり前、自分のあり方が前提とされていないことが当たり前であるがゆえに、気づかないうちにあきらめていたものがたくさんあるんじゃないか、最近あらためてそう感じている。
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by Hideki_Sunagawa | 2011-01-17 10:31 | LGBT/gender


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