2011年 01月 02日

「普通」って…

家族とのメールのやりとりで「〜するのが普通でしょ」と書かれ、それに対して、かなり憤った返事を返してしまった…。「普通」というのは、文脈によっては、僕が最も怒る言葉の一つだ。

昔は「普通」という言葉を聞く度に、「普通ってなに?」といちいち反発していたものだ。「普通」って、人によって異なるのだから。

けれど、最近は、そこまでその言葉を否定的にはとらえていない。「お互いの価値観や生活のあり方をよく知っている関係性の中で、その人が『普通』と口にしたときにどういうもの(あるいはレベル)を指しているのか、想像がつく場合には問題ないのかも」とか、あるいは「それが必ずしも共有されないけど…という前提で口にされる場合には、問題ないかも」と考えている。だから、僕もそういう関係性や文脈で使ったりする。

しかし、それは逆に言うと、価値観や生活を共有していない人が「普通」と口にすると、「えっ?」と思うということでもある。ましてや、「普通」というものは人によって違うのだ、ということが念頭に置かれること無く、その言葉が使われると、苛立ちは大きくなる。

さらに、ある行為を促すために、あるいはある行為を批判するために、「普通」という言葉が使われると、かなり頭に来る。そのような文脈では、今も僕が激怒しがちな言葉だ。そのような中で使われる「普通」という言葉は、時に誰かを深く傷つけることもある。

そのようなことを考えるときには、やはり、「同性を好きになることは『普通』ではない、異性を好きになるのが『普通』と言われ、傷ついてきた(いる)人がいったいどれだけいることだろう?」という思いが頭をよぎる。もちろん、他のマイノリティのことも…

そういうことに傷つくことに対して、「『普通』じゃなくてもいいじゃない?」「普通じゃない方がかっこいいと思えばいいじゃない?」といった言い方もある。確かにその通りだ。

しかし、そのような言葉で傷つくとき、「普通」に価値を置いているからというだけでなく、その言葉によって、それを口にした人と自分が分断されて世界にいると感じさせられたり、関係性の埒外に置かれていると思わされたりするからでもある。

人間関係が広がったり、物事をより大きな視点で見られるようになれば、それも大したことではなくなるだろう。しかし、若い子たちは、なかなかそういう位置には立てない。大人でも、必ずしもそれが得られるとは限らない。

やはり、「普通」は、注意が必要な言葉だ。

にしても…沖縄に帰ったら、僕は、「普通は人によって違うから!」「自分の価値観を普通という言葉で押し付けないでください」と言うことが、今より多くなるのかもしれない(特に家族関係の中で)。先のメールのやりとりでは、「僕は沖縄に帰っても、そんな『普通』に縛られるつもりはないから」と書いたけど、そんなやりとりが増えることは覚悟せねば。
[PR]

by Hideki_Sunagawa | 2011-01-02 23:29 | Diary


<< 東京      謹賀新年 >>