2010年 12月 21日

つながり

12月16日から20日まで沖縄に帰省していた。17日(金)には、なは女性センターで「ジェンダーとセクシュアリティを考える~文化人類学の視点から」という講座を開催させてもらった。

なは女性センターは、来年で開設15周年を迎えるという。僕が講師として訪れるようになったのは、2000年からだから、開設してからの年月の三分の二を共有していることになる。

ここで講師をする前は、正直、「女性センターと言っても、そこにいる人は、ヘテロが前提の問題意識で、セクシュアリティのことには関心がないだろうな」という偏見を持っていた。「どうせ勤めている人も、行政の仕事として、たまたまそこにいるだけだろう」とも。

けれど、声をかけていただいて、センターのスタッフとの交流が深まるにつれ、そこにいる人々がとても魅力あふれる人たちで、そしてセクシュアリティの話にも関心を持ってもらえるということがよくわかった。

さらに、その講座を通じて、ジェンダーやセクシュアリティについて問題意識を共有できる仲間たちとも出会った。彼女たちと絆を結ぶことができたことが、「沖縄に帰ってもいいかも」と思うようになった土台をつくってくれたことは間違いない。


実は、ここにつながる流れは、大学の学部時代にさかのぼる。もう何年生のときのことだったかも忘れてしまったが、長期の休みに帰省していた僕は、たまたま新聞で、アジアの文学を読む会という感じの名前のサークルがあることを知り、足を運んだ。そしてその後、その会の中心的な役割を果たしていた女性と、やりとりをするようになった。

しばらくして、彼女に自分がゲイであることをカミングアウトしたことで、さらにやりとりは深まった。それから何年か経って、彼女が紹介してくれたのが、琉球新報での「窓をあければ」というリレーエッセイの企画だった。それは、四人の執筆者が交代でジェンダーをテーマにエッセイを書くというもので、もともと彼女が参加するはずだったのだが、違うタイプの人がいたほうがいいということで、自分の代わりに僕を入れることを他の人たちに勧めてくれたのだ。

その後、その連載は、ボーダーインクから本にもなり、その出版を記念して「てぃるる」(沖縄県男女共同参画センター)でトークセッションが開かれたのが、確か1999年の頃。僕は大学院生だった。またその頃、地元に掲載された、とてもくだらないフェミニスト批判に対する反論を書いたりしたこともあり、なは女性センターに声をかけてもらった(と思う)。


そして、素敵なスタッフや、ジェンダーやセクシュアリティの問題に関心のある人たちと出会い…という最初の話につながっていく。

その時々は、もちろん、こんな風にいろんなことがつながっていくなんて思いもしなかった。改めて振り返ると、とても不思議な気がする。たくさんの素敵な出会いに感謝するばかりだ。


僕は、それは基本的に「運」で、自分の「力」だとは思っていないが、自分にそのような流れをつくりだす主体的な要因があったとするなら、それは、自分の感じたこと、考えたことをできるだけ率直に正直に、社会に伝えてきたことなのだろうと思う。

「自分はこう考えています。こう感じています。こういう社会は嫌で、こういう社会にしていきたいと思っています」ということを発信していけば、あるいは社会に向けて言わなくても、誰かに伝えていけば、それに何かを感じた人が仲間になっていくのだと思う。


けれど、そういうことができるのは、やはりいろいろと恵まれた背景がある(=「運」がいい)ということだ。とはいえ、今自分のできる範囲で、形で、人とつながることを少しでもやっていくということは、多くの人にできることではないだろうか。そしてそれは、いろんな社会問題を考えていく上でも、とても大切な気がする。


長らく休んでいたこのブログ。比較的最近知り合った人の言葉に触発されて書くことができた(その人と知り合えたのも、このブログの感想を彼がたびたびメールでくれたことがきっかけだ)。

ちょっとした言葉が人を動かし、それがまた伝播していく。
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by Hideki_Sunagawa | 2010-12-21 17:33 | Diary


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