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2010年 09月 17日

暴力について考える

とある俳優が、自身のブログで、ゲイに暴力をふるったことを自慢するかのように書いた文章が、インターネットニュースや個人ブログで問題化され、twitterなどで大きな反響を呼んでいる(知らない人のための説明は下に)。

この問題について、僕もtwitter上で積極的に発言した。そのため、いろいろな反応も受けて、だいぶ消耗している。ということで、少しtwitterは休んでいるが、このことについて感じたことをまとめておきたい(やはり、短い文章では誤解を招きやすいと今回痛感した)。

僕は、彼の書いている内容に正直腹が立ったし、同時に傷つけられたような感覚を覚えた。胸の中に大きな石を抱えてしまったような、とても重い気持ちになった。でも、彼に直接抗議することにはためらう自分がいた。

というのも、ブログ上の文章を読む限り、彼は社会性というものに反発し、暴力に意味を見いだしている人のようだったからだ。むしろ、反社会的であることをエネルギーにしているような印象を受けた。そういう人に直接批判を向けても、逆に頑にしてしまったり、エネルギー源にしてしまうことが多いからだ。


僕は、彼のブログを読んで、「難しい時代だな」と思った。暴力的な人はこれまでも常に社会の中に少なからずいたけれど、そういう人が言葉を広く発信できるようになったということだからだ。つまり容易に、暴力も、暴力的な言葉も拡散していくということだ。特に、今回のような、なんらかの属性に対する差別的感情に根ざしたヘイトクライム(憎悪犯罪)、ヘイトスピーチ(憎悪発言)が、ますます問題化していくだろう。

そういう中で、暴力を否定しようとする人は何をするべきなのか。いろいろ考えたけれど、僕の結論は、まずは「私は(私たちは)暴力を否定する」という態度をそれぞれが地道にが示し続けることだろう、という実に素朴なものだった。もちろん、非暴力的な方法と言葉で(もちろん、具体的な言葉や表現は、それぞれに違うだろう)。

そのためには、今回のことで言うと、彼が暴力事件を起こした現場として名指しされている牛丼屋や、ブログの会社が、暴力を(また、今回その根底にあるホモフォビアを)否定するコメントを発表することがとても重要なことに思えた。だから、僕は、両者にそのことをお願いする文章を送った。

もちろん、言葉にしたからといって、世界がひっくり返るわけでもないし、平和革命が起きるわけでもない。けれど、様々な価値観がひしめきあう世の中で、あきらめずそれぞれの価値観を少しでも広めていくことが重要だろう。

そのためには、単にネットで言葉にするだけでは不十分で、いろんなメディアを通じて流通させる必要もあるだろうし、それ以上に、対面で誰かに語っていくことが重要だろう(教育の現場などでは特に)。また、それは小説や絵画や音楽や論文という形をとることもあるだろうし、活動という方法をとるかもしれない。

当然、直接的な解決につながらないように見えることでも、非暴力的価値や、多様性を尊重する姿勢を広げていくことの一助になることもあるだろう(もちろん、僕かかわってきたパレードや、編集した『カミングアウト・レターズ』というものも、その流れにある)。


僕が彼のブログを読んでいて印象に残ったのは(例の問題以外のことで)、自分の自伝を芝居化したものを母親が見て号泣していた、と書き残していたことだった。それが恥ずかくてひいた、みたいな書き方だったけど、そこに温かい気持ちが流れているのを感じた。そんな気持ちが、もっと彼の中で広がっていくといいのになぁ、と思った。


<事件について>

発端は彼がブログに以下のような内容のことを書いたこと>吉野家で向かいにいたゲイカップルの「ホモトーク」に腹を立て、丼を投げつけ、ビンタをした。警察に電話しようとした店員の胸ぐらを掴んで制止。後でそのことを「店に」謝りに行ったら割引券をもらった。

そのブログの内容を受け、彼への批判や、店の対応もおかしいのではないか(<割引券のことが本当だとするならば)、その記述をブログ会社は放置していいのかという意見がネットでかけめぐった。しかしその後、それは友人相手のある種のネタだったと釈明。また、名前を挙げられた会社は、事実関係を調査すると、問い合わせメールに回答を出している。

しかしその後、さらに、この騒ぎゆえにブログを止めることになったことを報告し、その中で、「ホモ狩り」を始めると書き記したようだ(僕が見た段階では既に閉鎖されていた)。
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by Hideki_Sunagawa | 2010-09-17 01:01 | LGBT/gender


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